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「射精する悦び」と「射精しない歓び」

普段、わたしは施術や講座でリンガムマッサージをお伝えしています

その中で大切にしてきたのは、
射精を目的【ゴール】としないということでした

射精によってエネルギーを外へ放出し切ってしまうのではなく
快感を全身へ巡らせ、ただ感覚の波にたゆたうこと

頭の思考を止め
静かで深い幸福感に満たされる「射精しない歓び」を知ってほしい
そう強く思っていたのです

けれど、それはどこか「知識」としての理解や
一つの価値観に偏っていたのかもしれません

先日、身体障害者の方々の性支援を行う「ホワイトハンズ」の研修に参加し、実際に射精介助を体験させていただく機会がありました

そこで私を待っていたのは鮮やかで温かな生命の体験でした

身体の自由が制限されている中で
ひとつの命が緊張から解き放たれ、生のエネルギーを一気にひらく瞬間
その歓びの波が
介助をしている私の身体と心にも驚くほど強く「共鳴」したのです

胸の奥から湧き上がってきたのは
ただただ「すごく嬉しい」という純粋な感情でした

男性にとっての射精は
単なる生理現象やエネルギーの消耗ではないのではと考えています

全身の緊張を解き、脳と魂を「無」にし
「自分は今、確かに生きている」という尊厳を取り戻す
圧倒的な解放の儀式なのだと肌で感じました

そのとき、私の中で「消耗」と「循環」の違いが見えた気がしました

射精の後に身体がだるくなったり、虚しさが残ったりする「消耗」は、
「出さなきゃ」「終わらせなきゃ」というゴールへの焦りや
心の置き去り、義務感や力みから生まれます

けれど
心と身体が安心して解け、相手や自分の存在に心から敬意を払っているとき
射精は身体をすり減らすものではなく
互いの生命力を高め合う「悦びの循環」へと姿を変えるのではないか


「射精する悦び」と、「射精しない歓び」

この二つは、対立するものでも、どちらかが優れているものでもありませんでした

一瞬で爆発するように生命をひらく、外への解放
波のように静かに広がり、内側を満たしていく、巡りの深化

どちらであっても
「今、ここ」の感覚に満たされ
自分をいつくしむ「循環」であるならば
形は違っても
どちらも人間という存在が体験できる最高に美しく尊いものなんだと

どちらかの正解に縛られる必要はありません
「ゴール」を目指してもいいし、目指さなくてもいい
自分の身体が今何を求めているのかに耳を傾け
その瞬間ごとの解放を感じること

身体と心の境界線をそっと溶かし
生命そのものが奏でる巡りを
私はこれからも探求し、寄り添っていきたいと思います

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